雨宮神父への質問を下記にご記入下さい。
掲示板に公開させていただき、お答えいたします。
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内容を確認後にUPいたします。
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お忙しい中、丁寧なお返事をありがとうございます。
私はある宗派から、こう教わりました。「悪魔:神を中傷するもの」「サタン:神に逆らうもの」
ある超人的な存在とされる、「み使い」の中の、特定的なものへの総称だと。
アダムとイブを、神から引き離したものとは、この「悪魔サタン」だと言います。それにしては、アダムもイブも、簡単に騙されているのは、余りにも、稚拙だと思っております。現代でも、騙されるというのは、勿論騙す側のずる賢さや巧妙さがあるとしても、騙される側にも、私利私欲が絡んで居たり、軽率さが見受けられたりします。人間の持つ「欲」を、上手く刺戟されていて、それを自覚なく利用されてしまっている、と思います。一方で、認知症などで判断力を失っている人が狙われているとも聞きます。
アダムとイブの置かれていた状況は、どう理解したいいのでしょうか。
そして、「み使い」の中には、神の側にいるものと、「訴えるもの:疑り深いもの」という二種類の存在がある、ということなのでしょうか。
土曜聖書講座では貴重なお話をありがとうございます。
この掲示板では聖書を読んで疑問に思うことをお聞きしてもいいのでしょうか。
私はプロテスタント系の教会に数十年通っています。信者ではありませんが。最近改めて聖書をマルコから読み始めました。読んでいると今までとらえていた聖書の内容とは違う内容に思えてなりません。聖書を読んでいて疑問に思う事を掲示板でお聞きしてもいいのでしょうか。
福原さま
新共同訳の特徴は、プロテスタントや聖公会やカトリックなど、多くの教派が共同で訳したことにあります。新共同訳が成功したかどうかは別として、このような仕事が一応の完成を見たということは、教派を超えて、聖書を一緒に読むことが出来るという確かなしるしだと思います。このゆなしるしを大事にしたいと私は考えています。
なにかご質問があれば、遠慮なく投稿してください。
先生の「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」というご著書を拝読致しました。
その中に、「・・旧約聖書の中でも古い資料にはサタンが現れず、・・紀元前4,5世紀になって初めて、サタンが登場します」とあります。
私は、創世記に登場する蛇は、悪魔サタンの化身だとばかり思っておりました。人間が初めて自分の意志と選択権を行使して、神に背く道を選んだ背景には、ただ人間の未熟さや思慮のなさだけでなく、悪意を持った別の者の誘導があったからではないかと疑っておりました。
一方、アブラハムにはみ使いが現れ、ロトはみ使いに導かれて命拾いしています。
この、み使い、という存在と、サタンという存在とは、何の関係もないのでしょうか。
宇野さま
いただいたご質問に答えさせていただきます。
まず、サムエル記下24章と歴代誌上21章を比べてみてください。新共同訳がどちらの表題も「ダビデの人口調査」としていることから分かるように、同じ出来事を書いた並行記事です。しかし、サムエル記下24章1節では「主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった。主は、「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた。」ですが、歴代誌上21章では「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。」とありますから、ダビデを人口調査へと誘った誘惑者が「主」から「サタン」に変えられています。サムエル記は紀元前5世紀頃に最終編集を終えていますが、歴代誌は紀元前3世紀頃だとされます。歴代誌がまとめられた時代になると、神はあらゆる悪から遠い存在であるべきだと考えられ、ダビデを誘惑するのは「主」ではなく「サタン」だとされたのだと説明されます。旧約聖書は長い歴史の中で書かれていますから、考え方が変化し、表現や語義が変えられることもあります。たとえば、旧約聖書に登場するサタンは「訴える者・敵対者」という意味であり、悪魔とは直接的な関係はないと言えます。
次に、サタンとみ使いとの関係ですが、どちらも超人的な存在ですが、神から自由な存在ではなく、神の許可があって行動する存在です。サタンは「訴える者」を意味しますから、み使いに比べれば、疑り深いものとして登場することが多いように思います(ヨブ1章)。
ご無沙汰しております。
どうにか体調も回復し以前同様日常生活をおくることができるようになりました。
9月12日(金)の講座に参加させて頂きます。
楽しみにしております。
小川藤彌
ご無沙汰しております。築地教会での講座には誰でも自由に参加できるのでしょうか?(例えば、9月土曜日の詩篇講座に参加できますか?) よろしくお願いします。
小川さま
猛暑が続いていますが、お元気でしょうか。
おたずねの件ですが、築地教会で行う私の講座には二種類あります。一つは教区の生涯養成講座の一環として行う講座(火曜日と金曜日)であり、もう一つは真生会館聖書センターとして行う講座(土曜日)です。どちらの講座も、どなたでも参加することができます。ぜひいらしてください。
8月は夏休みになりますが、9月から「活動予定」にあるように、どちらの講座も開かれます。よろしくお願いします。
雨宮慧